歴史
深草大亀谷の史跡(等泉寺・深草御香宮社 )より
等泉寺は、元々、宇治川の南にある向島東泉寺町に建てられていたそうですが、度重なる水害のために現在の地に移転されました。江戸時代の延宝四年(1676)に頓誉円西上人によって中興されました。寺伝では天明年間(1681〜88)に浅井長政の子孫と伝えられる薫誉智香尼が再中興して尼寺となり、後に男僧寺院となりました。本堂には恵心僧都(えしんそうず)の作と伝わる本尊・阿弥陀如来像を安置しています。また、門前には、なまぐさものと酒を禁ずるという意味の「禁葷酒(きんくんしゅ)」と刻まれた石標があります。
行政区別観光情報「おこしやす伏見」より
もとは向島の東泉寺町にありましたが、度かさなる水害のため、現在地に移転。延宝(えんぽう)4年 (1676)頓誉円西上人(とんよえんせいしょうにん)によって中興されました。寺伝では天明(てんめい)年間(1781〜89)に浅井長政(ながまさ)の子孫といわれている、薫誉智香尼(くんよちこうに)が再中興して尼寺となり、後に男僧寺院となりました。
京都市情報館より
JR藤森駅から墨染通を南東へ20分程歩くと等泉寺です。等泉寺は、もともと向島東泉寺町に建てられた寺でしたが、幾度となく水害による被害を受け、現在の地に移転されました。
等泉寺の門前には、禅宗の寺の入り口によく見られる「禁葷酒(きんくんしゅ)」と書かれた石碑があります。禁葷酒とは、なまぐさものと酒を禁ずるということを意味します。
また、本堂には、千手観音像と平安時代の僧である恵心僧都(えしんそうず)の制作であると伝えられている阿弥陀如来像が安置されています。
なお、等泉寺に伝わる寺伝を紐解き、古くからの歴史をたどってみると、かつて等泉寺周辺には近江国の戦国大名であった浅井長政が開基となった寺が存在し、また、江戸時代には浅井長政の子孫が等泉寺を復興したことが記されており、等泉寺と浅井長政に不思議な縁があったことがうかがえます。